「きつねの窓」を語る

自分の子ども時代を懐かしく想うことが多くなったこの頃。

夢の中で遊んでいる原っぱが、クローバーの甘いがしていたり(・・・ような気がした)、
小学生の頃遊んだれんげ畑や菜の花畑だったり。

先日、友達と一緒に、神戸の摂津本山駅を下に向かって
(このあたりでは、海に向かうことを“下に向かう”という)
歩いていたとき、
横の川を見たとたん、
“この間夢の中で見た川は、この川だった”と気がついたり。
そこは、ティーンエイジのときに、毎日通った川沿いの道だった。

(いまはコンクリートでがっちり固められた川、その日は、2匹のうり坊のいるイノシシファミリーが、川岸で昼寝していた)

まだまだ、きりがないくらい。

そんな“自分の子ども時代を懐かしむ”気持ちが、「きつねの窓」を語るときに自然と入っている。

“僕が、ある日、山道を歩いているうち、いつのまにか、青いききょうの花畑に迷い込み・・・・そして、ききょうの花の汁で染めた指でこしらえた窓のなかに・・・・懐かしい風景が見えてくる・・・”

長い間、語っている「きつねの窓
そんな想いが、年々、自分のなかに、静かに、深く、しみじみと沁みこんでいるように思う。

また、「きつねの窓」を語りながら、
自分自身の子ども時代を懐かしく想う気持ちが、ますます強くなっていくようだ。

その時代があったから、いまの自分があるんだなあ。
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