語りのとき、忘れ物をしないかということを、毎回、心底、心配する。何度も何度も確認している。
なんと言っても、一番心配なのは、テキストを使う語りのときにそれを忘れることだ。衣装を忘れても、靴を忘れても、何とかなるが、これだけはなんともならない。
その点、テキストを使わないときは、心配がひとつ減る。
友人の演奏家は、その日、紋付袴でばしっと決めていたのに、足袋を忘れた。はいている靴下も柄物で代用できない。たまたま私はその日は和服で語るので、足袋を2枚持っていた。それも1枚はストレッチ。彼は、私のストレッチ足袋をはちきれそうに伸ばしてはいた。
別の友人と組んで出かけたとき、会場に到着して、さあ、車から降りようとしたとき、突然、彼が、今日コラボレーションするはずの譜面の一部を“忘れた”と言った。急遽その部分を他の曲に変更。
友人から聞いた話。知り合いの演奏家は、その日演奏する大曲の譜面を忘れたそうだ。長い時間、電車に乗って来たので、取りに帰る時間はない。ほうぼう電話をかけて、やっと、近くの別の音楽家に借りたとのこと。
洋楽器の人たちと組んで、レストランでのコラボレーションのとき、ステージに登場したとたん、そのうちの一人の演奏家が譜面台を忘れたことに気がついた。たまたま、そのレストランの上の階のマンションに住んでいたその彼女、“1分、待ってください”と言って、エレガントなロングドレスをつまんで、駆け出した。その姿がとってもチャーミングだったのでみんな彼女のファンになった。戻ってきて楽器を構えたとたん、さっと彼女の音楽の世界が広がったので、2回ファンになった人が多かった。
別の演奏家が言った。ある日、楽器の一部(これがないと演奏できない)を忘れた。速度違反をしながら、車を猛スピードでとばし、取りに戻った。
こんな話をある演奏家としていた。
“楽器を忘れるのが一番怖いよね”と言ったら、
彼、いわく、
“語りの人は、いいわいね。口を忘れることはないやろ”